日本アジア言語文化学コース 児島啓祐(日本中世文学)
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教科書に載る前の古文

小・中・高の国語の教科書で古文と呼ばれている文章があります。もちろん、教科書に載っている文章の一字一句そのままで、古典文学が書かれたわけではありません。教科書の古文は現代の私たちが読みやすい形に加工されています。
教科書に載る前の書き写されて今に伝わっている『源氏物語』には、仮名ばかりで漢字が少なく、段落分けもなく、濁点も振っておらず、句読点もありません。文の切れ目が、一目でわかるようには書かれていません。ですから、原文を読もうとするとき、たった一文を読むだけでも、おそろしく長い時間が掛かります。
原文を読むということ
今、うかつにも原文と書いてしまいました。『源氏物語』に原文があるのでしょうか。原文を、作者自筆の本、原本と考えると、残念ながら発見されていません。中世以前の作品にはほとんどの場合、原本はありません。それでは、どのように古典文学を読めばよいのでしょうか。
多くの場合、中世(時には近世)の人々が書き写したものを読むということになります。彼らがいなかったら作品の存在すら知り得なかったのですから、写本を多く伝えてくれたのはとてもありがたいことです。しかし、これはこれで大変なことになります。というのは、いったいどの写本を読めば良いのか、という次なる難問にぶつかるからです。
校訂とは何か
私たちがよく知っている平安時代の『源氏物語』や『古今和歌集』は、中世の写本をもとに読んでいます。平安時代の成立当初の本文ではなく、後世の人々の手を経ているものですから、書き誤りもあれば、意図した改変もあり、原文からは遠く隔たったものです。ですから、できるだけ古い形をとどめていると考えられる本を集めて、成立当時の形に復元する作業、すなわち校訂をしなくてはなりません。
校訂には必要な手続きがいくつかあります。第一に、集めた複数の本の比較を通じて本文の共通点や相違点を明らかにすること。第二に、作品のなかでの言葉の使われ方を調べること。第三に、作品が生まれた時代の他作品の用例を調査すること。第四に、作品に影響を与えたと思われる、前の時代の作品にさかのぼって用例を調べること。……以上では終わりません。
写本を伝えた人々のことを知る

忘れてはならないのは、校訂しようと思って手に取った写本もまた、中世の人々の校訂を経ている本だということです。ですから、平安時代の文学を読みたいと思ったとき、私たちはその写本を作った中世の人々の古典との向き合い方も知らなくてはなりません。
たとえば中世の人々が楽しんでいた連歌と『源氏物語』との関係を調べてみれば、連歌師たちが伝えた『源氏物語』写本の個性が見えてきます。和歌を詠む中世の人々の流派の特徴や、流派同士の対立関係を知っていくと、『古今和歌集』の本文が写本によって違うことが、当時の自分たちの立場を示すことに繋がっていたことがわかってきます。写本の読み比べは原文探求のためだけではなく、写本を伝えた人々の古典を読む営みを知ることにも直結します。中世や近世の人々の平安文学との向き合い方が、中世文学や近世文学の作品の土壌となっていることも明らかになっていきます。
私たちが古典を読むとはどういう営みか
これまで述べてきたように、私たちが平安時代の文学を読む営みは、その作品を読むということに決してとどまることがありません。平安文学と向き合って写本を作った中世や近世の人々の学問や文学作品を知ることにも繋がります。
加えて言えば、近代以降の研究者たちの仕事にも本当に多く助けていただくことになります。目の前のたった一文を読んで自分なりの見解を持つということが、たくさんの人々の丹念な積み重ねの上に成り立つ、決して一人では成し得ない営みだということが、大学の授業で身に染みて学べることだと考えています。